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風の子通信 10月昔のこと

 
  「秋の夕日に照る山もみじ」と歌にあるように、色鮮やかなモミジの紅葉は夕日に映えて、一段と美しくなります。私は福島に住んでおりましたから、11月下旬、会津から土湯峠(つちゆとうげ)を越えて福島市にくる山道が日本で1番美しい紅葉だと思っていました。が、北海道に行ってみて、ナナカマドの赤の美しさに感動しました。福島でも、もちろんナナカマドは紅葉しますけれど、厳しい寒さの北海道に比べれば、その赤の鮮やかさにはやはりかなわない気がするのです。失礼な言い方ですが、暖かい地方の紅葉は、私に言わせれば生ぬるいぼんやりした紅葉で、とても「目が覚めるような」という形容詞を進呈するわけにはいきません。今のところ、私は北海道のナナカマドに匹敵する「赤」を見たことがありません。いわき市川前町の山のモミジもきれいでしたが、やはり北海道の「赤」にはかないません。

 

 ナナカマドはどうしてナナカマドと呼ばれるようになったのでしょう。それはナナカマドがとても燃えにくい木で、竈(かまど)を7回換え(替え?)ても燃えないと言われたことに由来しているそうです。私は竈でご飯を炊いていましたが、ナナカマドの木を使ったことがありませんから、実際にはわかりませんけれど、私に昔話を語ってくださった遠藤登志子さんという語り部の方によれば、とにかく燃えにくくてすぐ消えてしまうから、何度も焚きつけるところからやり直しをすることになるそうです。

昔話に意地悪な継母の話があります。「姥っ皮」(かたれやまんば五集)という話です。継子が洗濯をしてくると、衿が汚れていると言ってやり直しをさせる、洗い直して戻ってくると裾が汚れている、又洗い直してくると、袖口が汚れている、また洗い直してくると身八口(みやつくち・腋の縫い合わせてない部分)が汚れていると言って突っ返す継母でした。それで継子は洗濯をするときには、衿と裾と袖口と身八口を丁寧に洗わなければならないということを覚えていくのです。




機(はた)を織るにしても、縫い物をするにしても掃除をするにしても叱られてやり直しをさせられて、もちろん飯炊きの薪はナナカマドです。そうやって意地悪をされながらでも、女の仕事を一通り覚えてしまったので、最後は山姥に助けられて長者の嫁になり、めでたしめでたしという話です。長者の嫁がしあわせかどうかは今の私たちには疑問に思えますけれど、昔話の中では金持ちとの婚姻はしあわせの象徴です。私は糸取りも機織りもしたことがない、着物を縫ったこともない、かろうじて洗濯は手で洗ってきた世代ですから、洗濯だけは理解できますが、この話を遠藤さんから聞いたとき、洗濯以外はこまかい継母のいびりが理解できなかったのです。糸取りでも機織りでも、ナナカマドの焚きつけ方でも、継母は細かく指示をして、何度もやり直しをさせるのです。その細かい指示の部分がわからなくて、私は語れないのです。遠藤さんが、女の仕事がすべて覚えられる話だからと2時間もかけて語ってくださったのに、実体験がない私には覚えきれない話でした。そういうわけで、紅葉したナナカマドの美しさに感動しながら、継子のつらさを思い浮かべてしまうのです。  

 ところで、世界にはたくさんの継子話がありますが、どこの国の話でも、最終的にしあわせになるのは継子です。それは、人生長い目で見れば、子どものときに蝶よ花よと育てられた子が必ずしも大人になってしあわせになるわけではない、むしろつらい子ども時代を過ごした子のほうがしあわせになれるということを、昔の人は伝えたかったということです。シンデレラの話でも、王子様に見初められるのはいじめられてきたシンデレラです。

 けれど、いじめられていびられただけではしあわせになれません。いじめられる一方で、その子を支えてくれる人の存在が必要です。シンデレラでいえば、亡くなった実母の霊、魔女などが支えてくれます。日本の昔話「姥っ皮」では山姥が支えてくれます。






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